小学校時代は宝くじや家にあったノブをはじいて打つ羽モノのパチンコ(チューリップ?)そしてゲーセンのメダルゲーム、中学は雑誌の広告にあった海外の宝くじの購入(現在は法律上禁止)、高校高学年からパチンコホール通いとギャンブル好きです。
当時メダルゲームの貸しコインは1枚20円とパチスロ並に高額でしたが、お小遣い&お年玉と親の金をパクってビデオスロットを中心に狂ったようにプレイしていました。

部活や塾をさぼって行ったこともあり、勝ってもお金にはならないのは分かっていてもその素晴らしいゲーム性に魅了されて脳汁が出たのだと思います。 「100万$キッド」という漫画の影響を受け、ラスベガスに憧れたのもその頃からでした。
その後はアルバイト先の同僚に誘われてパチンコとパチスロを打つようになりました。 最初にはまった台はパチンコでは「ミラクルフォースSP(西陣)」、パチスロは当時導入台数全国ナンバーワンの「ニューパルサー(山佐)」でした。
モーニングという朝一ビッグのフラグが立った台が何台かあり、毎日投資1000円のみ(家スロのコインを持ち込んで使ったことも💧)で収支はアルバイトの給料越えとおいしい状況でした。 パチンコもベンツ小林さん・池上蓮さんという誌上プロの連載を読み、ボーダーラインの厳守と持ち玉遊戯のサービスを利用して月収20~50万と勉強と就活するのが馬鹿らしくなる大学時代を過ごしました。
社会人になりパチスロは4号機全盛期(高設定だと機械割が120~160%)で、設定完破し易く技術介入が高い台が多く、毎日ホールへ出勤していました。

しかし、5号機時代中盤からパチスロの魅力が半減+勝ちにくくなりました。
最高設定でもペイアウト率の平均が105%で、設定も分かりにくく、ゲーム性も面白くない台がたくさんリリースされるようになったからです。
稼働日数は昨年の7月頃から週に1~2回と激減しました。
同じく、ゲームセンターもUFOキャッチャーなどの景品ものが多くなり、メダルゲームに力を入れない店が増えたため、ほとんど行かなくなりました。
ホールで喰えなくなり、生活費や趣味などの資金をサラ金で調達することもしばしばあり、返済のために派遣会社で仕事をする中、何か面白いことがないのかなと無修正のエロ動画を観ながら休日にネットサーフィンしていると、ギャンブル関係のサイトで『オンラインカジノ』を紹介しているページがありましたので眺めていました。

紹介しているオンラインカジノのサイトを訪問すると派手なトップページとワクワクするようなイベント、そしていつかは行ってみたいラスベガスの雰囲気、ジャックポットの大当り画像など 初恋級にガツン と惹かれました。
ただ、不安要素が多々あり、手をつけるか否かしばらく迷いました。
まったく知らない外国の企業、身に覚えのない変な請求が届かないか、勝った場合の払い出しは大丈夫なのか?など…、興味より怪しさが勝っていました。
他の紹介サイトやプレイ日記、2chなどで情報収集していくうちに信頼性があると判断した私は、ゲームセンターで一回メダルを買うと思ってやる決心をしました。
しかし、私はJCBのクレジットカードしか持っていなかったため、決済ができるオンラインカジノ(Visa・Mastercardが主流)が限られていました。 そのため、初めて登録して遊んだのはJCBが使える「インペリアルカジノ(閉鎖)」でした。
40ドルのチップを購入してスタートしました。
新規入金プレイヤーには「初回入金ボーナス」という入金額と同額のサービスクレジットがもらえるため、入金と同時にゲームの残高は倍の80ドルになりました。 今思えばもう少し奮発して入金して進呈限度額の100ドルまでもらっておけばと失敗でしたが…。
ゲームの種類があまりにも多くて何からプレイしたらいいのかと悩みました。
まずはブラックジャックを中心にやりました。 賭け金は2~3ドルと少ないですが、実際にお金を賭けて勝負しているため、かなりの緊張感がありました。
調子がよく、夕方で残高が150ドルに成長しました。
うっしっし~ 🤸♂️
日当を確保した自分に乾杯したく、コンビニでビールを買ってきてプレイを続行しました。 設定⑥をゲットしたあの「楽しい~」感覚と同じでした。
まさに 射精以上の快感 です!

しかし、いろいろなゲームでプレイしていくうちに残高がなくなりました・・・。
とほほん 😞
そして60ドル、100ドル、100ドル、100ドル・・・と、
入金回数と額がエスカレートしていきました。
もう止まらない! と思いましたが、クレジットカードの利用限度額を超えたため (笑)、決済できず終了となりました。 利用枠を戻すため、コンビニで返済してから入金してプレイを続行とあっという間の一週間でした。
負けはしたものの、こんなに面白いのはないとオンラインカジノの世界にどっぷりとはまった自分がいました。 もう仕事どころではないのかもしれない。